勉強は「手段」であり「目的」である

手段「もしかして…」

目的「私たち…」

手段&目的「「入れ替わってる~~??」」

 

…こんにちは。

大阪市西区花乃井の個別指導塾 ニコニコ個別塾の西岡です。

 

みなさまGWはいかがお過ごしでしたか?

私はシャンシャンで話題の「上野動物園」の隣にある

「東京国立博物館」に行ってきました。

 

 

さて、今日は勉強とは「手段」なのか?それとも「目的」なのか?

について、個人的に書いてみたいと思います。

 

「手段派」のスタンスは、「勉強は学歴・社会的地位の向上や資格取得には役立つが、それ自体に意味はない」というもの。

「目的派」のスタンスは、「勉強は知識・教養を深め、自分自身を高めるためのものであり、それ自体に意味がある」というもの。

 

私は、どちらも正論だと思うものの、

個人的には少し「目的派」寄りだと思っています。

 

若いころは、バリバリの「手段派」でした。

特に高校生・浪人生の時がピークで、

「○○先生の授業は受けても受験には関係ないから寝る(サボる)」

…というような生意気な態度を取っていました。。

 

それから歳を取り、丸くなったこともありますが、

「勉強すること自体に価値がある」

と、感じるようになりました。

 

「手段派」の生き方を突き詰めると、

「受験(資格試験)が終わったら、この知識はもう必要ない。」

「勉強なんて道具だ。やっていて楽しいわけがない。」

…という、ドライで寂しい生き方になると私は思います。

 

「わかると、楽しい」

「やってみると、案外面白い」

 

そういう、勉強を通して人間性を高められるような塾でありたいと思います。

(バリバリクールな「手段派」の生徒も歓迎しますよ。君の求めるようなハイクオリティな授業を提供していますので。

 

 

…冒頭のどこかのアニメ映画のような話ではないですが、

手段と目的は時として逆転します。

しかし、こと勉強に関しては、

手段と目的が混然一体となっている時が、

一番夢中になっている時ではないかと思う次第です。